とある肌寒い雨の日に、ピアニストの友人と一緒に大阪中之島美術館へ行ってきました。
背の高いビルとたくさんの傘の波、間を縫ってテクテクとふたり、川を見て歩きながら真っ黒な箱の前に到着し、モネ-連作の情景- Claude Mnonet: Journey to Series Paintingsを観てきました。
平日の雨にもかかわらず、たくさんの来場者がおり、一階から列をなすようにゆっくりと入場口にたどり着きました。さすがにモネは人気で、老若男女、若いカップルや、田舎から出てきたような若い人、中高年、アジアの観光客、頭一つ抜けた西洋の方もちらほら見かけました。(だいたい半袖、笑)
モネが友人たちと共同でグループ展を開催して(のちに「第一回印象派展」と呼ばれることになる)から2024年は150周年を迎えるとういうことで、モネの「連作」に焦点をあてた展示となっていました。
そのようなコンセプトは少し置いておいて、友人とも別に、それぞれ自由に展示を楽しみました。わたしは、きっと奥の方にあるであろう睡蓮を一番に観に行こうと考えていたので、とことこと奥へと向かいました。少し歩き出したところで、ふと左を観ると黒い服を着た女性の絵に目が留まりました。少し歩く速度を緩めて「後でね」と心の奥でつぶやきながら進んでいきました。
ちょうど出口の手前が大きな個室のような空間となっており、モネが後半生を過ごしたジヴェルニーの庭を想像させるスペースでした。その中心に今回のポスターにもなっていたモネの睡蓮はありました。それはそれは当然のようにその存在感を放っていました。
目の前にしたモネの睡蓮は、池の深さを感じさせる緑と青、紫、深い黒のような紺色のような水面と蓮の葉。光は睡蓮に当たってふわりと脚光を浴びて、その存在感に見惚れてしまう。薄いピンク色と明るいオレンジのような黄色と水面とのコントラストが印象的です。
あまり混色をしないとういうモネ、確かに素直に魅入ることができる、複雑であるようで、とてもシンプルなのではないのかと感じました。
振り返ったあたりに柔らかい光を放つ作品があり、撮影する人だかりもできていました。横は2メートルほどある大作は、たくさんの色が荒めの筆致で塗り重ねられ、夕刻の陽が落ちるころなのか少し寂しさを帯びているようにも感じました。
すでに展示には満足して、改めてスタート地点に戻りました。先ほど気になっていた絵を前にしました。1871年に描かれた黒い服の女性、「グルテ・ファン・ド・シュタート嬢の肖像」という作品でした。手とか少し違和感があって、写実なんだけど、なにか歪んだモノを感じる作品でした。モネの黒、印象派以前、以降の変遷をも垣間見ることができました。
ここからは、コンセプトに沿って連作とモネについて考えながら、思考を旅することができました。静かな川の流れは、さっき見ながら歩いてきた堂島川と雨とも重なり、何かが繋がっていくような感覚でした。
昔は写実主義から印象派など、苦手だったりして向き合うことはなかったのですが、やはり名画、並外れた才能のある画家の作品は見ておかないとダメですね。今は探究心が旺盛で美術への興味も関心も溢れてはきますが、もう少し感受性の鋭敏な10代のころにも観ていたかったな、と思わせる本当に素晴らしい作品の数々でした。
一緒に行った友人は20代ですが、絵も描いたり、気になる展示には足しげく通うという。そんな彼女の演奏にもちいさな影響が積み重なっていくのだろうなぁと、これからが楽しみだと思っています。
そして気持ちだけオマージュ、私の中の睡蓮を帰宅して描いてみました。この日の想い出として少しずつ触って、この写真の後もまたいろいろ描きたしたりしているのですが、このブログに綴ったところで、一先ず終わりにしようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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