20年ぶりのマティス展、上野の東京都美術館になんとか最終日に滑り込むことができました。
”ピアノの前の若いヴァイオリン奏者” 1924-26 Henri Matisse
20年前は国立西洋美術館での展示で、初めてのル・コルビュジエ(Le Corbusier)設計を目のあたりにし、建物にも圧倒された記憶があります。
その西洋美術館を横目に通り過ぎ、動物園の方へ少し行った先に、赤茶色の煉瓦造りの東京都美術館は在ります。
国立西洋美術館は展示室4,420平方メートルからなりますが、
今回の東京都美術館は、ロビー階、1階、2階の各階3,040平方メートルの3フロアーを使用し贅沢に展示されていました。
1926(大正15)年5月1日に東京府美術館として開館した東京都美術館、設計について調べてみますと、早稲田大学や東京美術学校(現在の東京藝大)で教壇に立ち、多くの後進を育て、重要文化財でもある明治生命館などを建築した建築家岡田信一郎の設計によるものだそうです。
話題をマティス展に戻して、
今回は、8つの章からなる総勢155点の大規模な回顧展、
汗を拭きながら、なんとなく薄暗い入口を入ると、なにやら古めかしいダンスホールのような雰囲気を思わせる茶色いのレンガの床や低い天井のロビーに迎えられます。
もうすぐ100年という時の重さこそ感じられます。
最終日の日曜ということもあり、入口はかなり混雑していました。家族連れや、田舎から出てきたような格好のひと、西洋人は少なくアジアの観光客など、老若男女、さすがのマティスは大衆にも浸透し、万人に人気なことが伺えます。
中に入り、はじめに目に飛び込んできたのは"読書する女性"。
東京都美術館H.P.より
これは見たかった作品の一つでしたので、さてどれくらいここにいたでしょうか、時を忘れてしまうほど見入っていました。まずこの黒の美しさ、そして女性の首から肩のライン、それを捉える光、マティスはその後ろ姿のこの辺りのラインが美しいと思ったに違いないな、と勝手に推測したりしていました。棚の上に置かれた彫像などの細かいモティーフもただ緻密なものではなく、もわっとした感じなんだけど、確かにそこに在る、確実にこの後ろ姿をより美しく見せるために存在するんだと感じました。
少し行くと人だかりがありました。
その向こうに、20年前に見た、あの”金魚鉢のある室内”が見えました。
東京都美術館H.P.より
またこの眼で見て、本物を感じることができて、涙が溢れて止まらなくなりました。マティスの見たパリ、サン=ミッシェル河岸のアトリエの室内とその窓からの景色、そこにあったかなかったかの金魚鉢、金魚鉢の金魚の色をさらに引き立たせる紺色の絨毯とセーヌ川の青。
わたしの後ろの方でもすすり泣く声がして、また、わたしの涙を誘う、止まらない、と思ってちょっと逃げなきゃ、と少し離れたら、”窓辺のバイオリン奏者”これを見た瞬間、もう涙を止める必要ないわ、と思って、ボロボロとながしたままじーっとぼーっとしばらく目を離さないで立っていました。
そのあと、”オーギュスト・ベルランⅡ”のポートレイトをみて、ほっこり、ほっこり、
又、”バイオリン奏者”を見て涙、”ベルラン”見て、ホッ、この繰り返しでした。
もう一度”金魚鉢のある室内”のところに戻ろうかと思いましたが、最初のあのほろ苦い感覚を塗り替えたくなくて、もうそこへ戻ることはしませんでした。
生きている間にフランスに行って、又”違った私”で、逢いたいと思っています。
二階は撮影可能なエリアとなり、二枚写真を撮りました。そのうちの一枚、マティスが没するまで20年近くその傍でモデルとなり、協働者であるとも言われるリディア・デレクトルスカヤを描いた”夢 The Dream”という作品です。
ちょうどマティス展に来る前に、同じ上野公園エリアにあります、法隆寺宝物館で観音菩薩像を何十点もみて、菩薩の手をデッサンしていたのでマティスの描いたこの手はまるで菩薩のような、包み込む手と同じだ、と感じました。彼女の手に慈悲豊かな愛を求めその”時を切り取って”いたのでしょうか。
物思いにふけりながら、2時間ほど展示を観ていましたが、さほど疲れることもなく、帰路につくことができました。2023年8月20日、暑い暑い夏の日のことでした。
絵を観るということは、感覚だけでなく、知識も経験も必要で、そのいろいろが重なって、自分の中に何かを呼び覚ますことができるような気がしています。より”数学的”で、”クラッシック音楽”を聴くようでいて、尚、”有機的”に鑑賞できる力が必要とされることもある、と考えています。私はまだまだ知識も経験も足りませんが、これからもそれらを積み重ね、成長した自分で、"時の止まった"作品と対峙していきたいと思っています。
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