水都大阪、中之島美術館で5月までの二ヶ月間開催されていた、福田平八郎の展示のこともこちらに記しておこうと思います。
水、波。漣。
琵琶湖に釣りや写生に行っていたという福田平八郎の作品はどれもしっとりとした湿度を帯び、それを保っていました。彼の署名をみるだけでもその神経質そうな性質はあらわれていて、細かくモノをみてスケッチするのが好きだったというのも頷ける気がします。
”観察すること”
目を引く、足を止めてしまう、そんな作品を残した作家たちの”絵を描く技術”はもちろんなのですが、それ以上にきっと観察する力が優れているのだと思います。
福田平八郎と同時代を生きた熊谷守一も、日がな1日蟻を観察しては描いて、”観ていること”それ自体が好きだったと彼の著書で読んだことがあります。
5月に東京へ行った時、豊島区にある熊谷守一美術館にも足を運びました。そこには実直な熊谷守一の作品たちが姿勢よく並んでいました。とはいえ、こちらの肩に力を入れさせないなにかを作品たちから感じたのは、徹底して観察した対象がその人を通して削ぎ落とされて描かれているからなのでしょうか。
"観察力"
もともと持った能力でもあるのかと思いますが、思い込みが強い、物の見方が概念的というかそういうのもよくないと思っています。カメラや写真が社会に広く普及することによって”対象をじっくり観ること”を忘れ「撮ること」が優先になってはいないか。そのように単純に観察する能力は低下しているのではないか、と考えると「写真技術」というものに頼らないということも大事なんだろうと感じます。
私は、自分の概念的な思考をすこしでも取り払いたいと、そのものを”あるがままに”観察するトレーニングとして、クロッキーを続けています。"観察する能力"を持ち合わせていないのであれば、"観察する技術"を少しでも身につけられるように意識することも必要なんだと素晴らしい二人の先人たちの作品や生き方から改めて学ぶことができました。
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